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2011年10月

TPP?

従来の自民党政府が農民にただ金をばら撒くことによって、その生産性を下げ、国際競争力を奪ってきたことは明らかだと思います。しかし現在の民主党政権のやっていることも同じ、あるいはそれ以上ですね。

そういう意味で私はTPPに賛成なのです。

しかも、これが米国による「中国封じ込め」政策の一環だと聞くとなおさら賛成したくなります。

政治家の反対が多いのは農民票目当てで、これによって日本農業が強くならないことは過去の政策により実証済みです。

でも、一抹の不安が残るのは、「何故アメリカはTPPの実施について、あんなに高圧的なのか?」という疑問です。

味方を増やしたければ高圧的な態度は逆効果です。
中国を見ればよく分かります。
ドンドン友好国が減っていますね。経済が悪化していることも絡んでいるのでしょうが、それだけではないでしょう。
ついでに言えば米国債をそんなに売っても良いのですか?ますますアメリカが中国に遠慮しなくなりますよ。

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篠笛

昨日、篠笛を聞いた。

篠笛演奏会という名目だったが実際に聞いたのは龍笛、能管、篠笛の三種類。

龍笛と能管は外見上はほとんど区別ができない。両方とも藤蔓を巻いた上に漆が塗ってある。篠笛は竹の素肌のままのようだった。

興味深かったのは、龍笛と能管が竹を8本割りにして、表と裏をひっくり返して組み合わせてあるということ。しかも内側にも漆が塗ってある。音が良くなるように。能管は内部に別の菅が入っていて音を変えてあるとか。

リードはない。

それにしても、時々入る突拍子もない高くて鋭い音は私には不愉快だった。聞かせどころの一つだったらしいのだが。

袴姿の似合う人だった。海外に行くときは作務衣を着ていくと中国人に間違えあられないとか、なるほど。

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那須・平成の森

友人が退職後那須に引っ越した。遊びに来いというので行ってみた。
肝心の平成の森は途中で滑って足の筋を違えたので途中で離脱、宿に戻ったので、奥の原生林は見ることができなかった。残念。

紅葉を期待してゴンドラに乗ったがこちらももう少し。ちょっと早かったようだ。

昼食をとりに行ったPenny Laneは中々。内装がイギリス風で良かった。料理もうまい。ビートルズが来たそうだ。

翌日行ったヴァイキングは店が何種類かあって、犬のホテルもあった。

コーヒーショップでカプチーノを飲んだ。美味しかった。

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田舎暮らし

定年退職して都内の住居を売り払い田舎暮らしを始めた友人が何人かいる。今は皆さん、ルンルン。

だけどいつまで?

夫婦二人とも元気な間はいい。
どちらか一方が具合が悪くなったら?病院通いはできるか?

車が運転できる間は良い。
運転できなくなったら?日用品の買い物が徒歩圏内せめて自転車で行ける範囲にありますか?

歳をとると寒さがこたえる。暖かいところですか?

私は寒い田舎に引っ越して畑づくりを楽しむ気はない。

お好きな方はどうぞ、上手く行くかもしれない。

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ギリシャはお先真っ暗?

ここまで来てもまだ48時間ゼネストを計画しているらしい。

政府の緊縮財政に反対しているとのことだがその結果どうなるかを考えているとは思えない。

政府はもう借金はできないのだから、外国から恵みの金が降ってくるのを待っているのかもしれない。それにしても甘ったれた話だ。ドイツ人がEUへの融資に反対するのは当然だと思う。

おそらくこのゼネストがギリシャの息の根を止めるだろう。ギリシャのゼネストを指導している労働組合はギリシャ抹殺の主謀犯ということになるだろう。自国の足を引っ張る、日本の民主党と同じ。

前にも書いたが、そもそもEUの成立は結構だったが、低賃金に目が眩んだ富裕国が貧乏な国を仲間に引きずり込んだのが誤りだった。

こうなっては、行くところまで行く他はないだろう。

ギリシャは破綻し、世界大恐慌になるとともに、EUは貧乏国の脱退か悪くすれば崩壊する、というのが私の予想。

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嗅覚を失うまで行方不明者を捜し続けた“小さな勇者” 災害救助犬が被災地で見た「とり残された弱者」の悲哀 ――災害救助犬調教師・村田忍氏と救助犬・レイラのケース

好きし長いのですが貼り付けます。原文は
http://diamond.jp/articles/-/14465
写真もあります。
ーーーーー
3月11日の震災直後に現地に入り、命がけの人命救助を行なったボランティアと犬がいる。災害救助犬調教師の村田忍さんと災害救助犬・レイラは、自衛隊とともに宮城や岩手で生存者の捜索を続けた。

 だが、それはいつしか「遺体捜索」になっていく。さらに、東京電力の原子力発電所が爆発した福島では、人間の尊厳が踏みにじられている実態を目撃していく。

 今回は、村田忍さんに取材を試みることで大震災の「生と死」に関わる真実に迫りたい。

震災直後は涙を流す人さえいなかった
遺体を見つけて困った顔をする災害救助犬

「サーチ!」

 女性の声が響く。

 その数メートル前を歩く災害救助犬が、津波で破壊された家などのがれきの山に入っていく。臭いをかぎながら人を探し始めた。それを同行した自衛隊員や消防団員も見守る。

 警察犬は地面の臭いをかぎ、生存者や犯人などを探し出すのに対し、災害救助犬は空気中の臭いから生存者を発見する。

 しばらくすると、犬は皆のほうをじっと見る。背中の毛が逆立っている。災害救助犬調教師の村田忍さんは、こう語る。

「あの場所では、遺体しか見つけられなかった。レイラは、生存者を探すように訓練されている。だから遺体を見ると、『どうしたらいいの?』と相談をするためにそばに寄ってくる」

 村田さんは、レイラの顔つきやしぐさなどからメッセージを感じ取る。それは、「発見したけどどうも違うよ」といったものなのだという。遺体には、腕や足がもぎとられているものがあった。村田さんは、ゆっくりと話す。

「始めは、人のものとは思えなかった。私も自衛隊員や消防団員も、怖いとか悲しむといった感情をシャットアウトされていたように思う。もしかしたら、それが人間の防衛本能なのかもしれない。そうでないと、あの場に長くはいられない」

 がれきの中を進むと、現地の人とすれ違うことがあったが、涙を流している人はいなかったという。「泣く人が現れたのは、それから数日後。震災直後は、感情を表に出す人はほとんどいなかった」

ボランティアとして参加した人命救助
遺体を嗅ぎすぎた愛犬は嗅覚を失った

 村田さんは震災翌日の3月12日、自衛隊と共に岩手県の大船渡市にレイラを連れて入った。その後も南に進み、宮古市、宮城県の気仙沼市に行った。

 人命救助に協力をしようと、ボランティアとして志願した。これまでにも、東北で起きた地震の後の救助に参加してきただけに、地元の基地にいる隊員らに知り合いがいた。

「けがをしても、そのときは自己責任。命が奪われることになっても、心の準備はできている。まして今回は、死者・行方不明者が多い。レイラが災害救助犬としての使命を終えることも、覚悟していた」

 犬の嗅覚は、嗅ぎ分ける臭いにより違いがあるものの、人間の約1000倍と言われる。遺体の臭いをたくさんかぐと、その臭いが強過ぎるために嗅覚が弱くなり、災害救助犬としては働くことができなくなるのだという。

「養護施設などで働きつつ、少しずつ貯めたおカネでドイツからレイラを買った。この子は、スイス血統のメスのシェパード。災害救助犬と呼ばれるのにふさわしいレベルに育てるまでに、時間もエネルギーも使った。だから大事な犬。だけど、それ以上に人の命はかけがえのないもの」

 私が村田さんの営む岩手県の金ヶ崎町にある牧場を訪れたのは、10月上旬。そのとき、レイラはかつての嗅覚を失っていた。

「この子にとっては、それは“死”を意味する。ここ7~8年、来るべき日に備え、念入りに訓練をしてきた。災害救助犬は体力が必要。多いときは、1日で30キロ走り込んだ。深夜の午前2時、私が車で運転し、その後をレイラがついてくる。この子はそれをやり遂げた」


村田さんが災害救助犬に関心を持ったのは、北海道の大学に通う頃、アメリカにホームステイをしたときだった。その家の人が、災害救助犬を育てていた。村田さんは馬などの動物が好きだっただけに、一段と興味を持った。

 帰国して京都の実家にいた1995年、阪神淡路大震災が起きた。そこでスイスをはじめ、海外から来た災害救助犬の活動に魅せられた。

 それ以降は、災害救助犬などの組織に入ることなく、フリーの身で活動をしている。組織のしがらみに拘束されることがないため、被災地に入るタイミングが早い。初期出動が早いから、人を救える可能性も高くなるのだという。

「今回も警察犬などは、3月11日から数日後に現地に入った。あれでは遅い。翌日に入った私でさえ、生存者を見つけることができなかった。引き波が終わって、数時間以内に行くことができていたなら、助かった人はいたはず」

家族に迷惑をかけたくないと思い、
あえて死を選んだ人もいるのでは


震災直後の捜索活動。がれきの山で生存者を捜し続けるレイラ(写真提供:村田忍さん)。
 村田さんは、「がれきに挟まっていた遺体は、津波が来た後もしばらくは生きていた人のものなのではないか」と、今も思っている。

 一行の使命は、自衛隊ががれきの中に道を作るために“先兵”としての役割を果たすことだった。

 まず、地元の消防団員ががれきの中を案内する。「ここに道があった」「ここには小さな川があったんだけど」そう言いながら進む彼らの後を、村田さんとレイラ、さらに自衛隊員らが続く。

 団員らが「ここに人がいるかもしれない」と言うと、村田さんの「サーチ」の指示に従い、レイラががれきの中に入っていく。遺体が見つかると、隊員はそこに旗を立てる。後から来る他の部隊が、それを収容する流れになっていた。

 村田さんは、レイラが発見した20~30ほどの遺体について分析した。

「その多くは、家の中にあった。いったんは避難したのだが、貴重品を取りに戻ったのかもしれない。膝を悪くしていて “逃げられない”と思い、家に残り、死を選んだのかもしれない。家族に迷惑をかけたくないと考えたのかもしれない。東北に住む高齢者は、そのように思い詰めることがある」

目の前の光景は理解を越えていた――。
ケガをしながらも生存者を探したレイラ

 海岸にたどり着くと、そこには遺体が数え切れないくらい打ち上げられていた。その多くは服をはぎ取られ、傷だらけだった。もはや、捜索をするような状況ではなかった。自衛隊が、無線で他の部隊と連絡を取った。

 村田さんはそのときを振り返って語る。「おそらく、震災当日に引き波で海に運ばれ、晩に沖合から海岸に向けて波で運ばれ、打ち上げられたのではないか」

 捜索を終えた夜は、小学校のグランドなどでテントを張り、寝泊りをした。翌朝早くから、隊員らと人を探し続ける。村田さんは、1週間で12キロ痩せた。隊員や団員らも食事はあまりしなかったという。

「あのときの心理状態は、普通ではなかった。目の前のことが、理解できる範囲を越えていた。精神を冷静に保つために、感情とか食欲を抑え込んでいたのかもしれない。レイラも、次第に落ち込んでいった」

 災害救助犬は、生存者を探すことが使命。しかし、1人も見つからない。遺体を発見するたびに、レイラの表情は曇っていく。村田さんはその心理を説明する。

「この子は、きっとヘコんでいたのだと思う。生存者を見つけると、私が誉める。だけど、あのときはそれができなかった」

 そんなレイラに気を使う隊員や団員が、捜索の休憩の間、家の中に隠れ、生存者のふりをする。だが、犬はそれを見抜く。村田さんは、苦笑いを少しする。

「ありがたいことだけど、この子は頭がいい。人間のその思惑を見抜く。使命感が強いから、どんどんと落ち込む」

 気仙沼市に入ると、大火事の後だったため、独特の臭いがした。それは、家や工場、車、船、重油、魚などが燃えたものだった。「レイラには、あの臭いはきつかったと思う」

 一行は捜索を続けた。車の中の遺体を見つけることもあった。それは傷もほとんどなく、生きているようだった。母親が子を抱いたままのものもあった。苦しそうな表情だったという。

 車からそれらを運び出そうとするとき、隊員が怖がることがあった。気分を悪くし、吐く者もいた。レイラはがれきで足の裏をけがしながらも、生存者を探し続けた。

「警察犬などは15分ほどしか集中力が持たない。だけど、この子は生存者を見つけるまで、あきらめない」

 しかし、生きている人はいなかった。1週間でレイラは体重が半分になった。

「人間の尊厳を踏みにじられている」
立ち入り禁止区域で右往左往する遺族


レイラは1週間で体重が半分に減り、遺体の臭いを嗅ぎすぎたために、かつての嗅覚も失くしてしまった(写真提供:村田忍さん)。
 村田さんは3月下旬、単身で福島に入った。南相馬市には放射能の汚染のため、立ち入り禁止区域があったが、そこの馬や牛、ヤギ、豚、犬などを救おうとした。市内の原町区には、知人もいた。その中には津波で亡くなったり、今も行方不明になったままの人もいる。知り合いの消防団員は、10人近くが死亡した。

 それ以降、半年以上にわたり、多いときは週に4日、岩手の金ヶ崎町から車を運転し、現地に向かい、動物の救助活動を続ける。それらを自身のツイッターで情報発信もする。

「もう引けない。放射能で汚染され、たとえ将来がんになって死を迎えても、後悔はしない」

 村田さんは、東京電力の原子力発電所の爆発後に、現地で生じた問題を「人災」と言い切る。

 3月下旬、20キロ圏内の境界線に警官が立ち、そこから進めないようにしていた。住民はその前で列になり、双眼鏡で数百メートル先の家の付近を見ていた。

「ああ、うちのじいっちゃんの遺体をカラスがつっつき、食っている。遺体を引き取りに行きたい」

 警官は制止する。村田さんはその警官たちを見ると、あることに気がついた。そのほとんどが、関西の警察から応援に来た若手だった。


「住民と接するところには、福島県警の警官がいない。住民は、警官に知り合いがいる。県警本部はそれを意識し、この地に縁がない関西の警察官を配置したのではないか」

 村田さんは繰り返す。

「カラスに食いちぎられるなんて、人の尊厳を踏みにじられている」

 他の禁止区域を回ると、パトカーの中には40~50代の警官がいて、30代前半までくらいの若い警官が警備に当たっている光景が目につくという。

「20キロ圏内の境界線から数十メートルのところで、防護服を着ないまま、23歳の警官が立ち続けていた。ベテランは車両の中で寝ていた」

立場が強い者が身を守り、
弱い者が死の恐怖を味わわされる

 ある日、警察や自衛隊が昼過ぎに一斉にいなくなった。普段は夕方まではいる。村田さんは「何かが起きた」と咄嗟に感じた。数日後、新聞が原発にさらなる爆発の可能性があったことを報じた。

 村田さんは、岩手や宮城での自衛隊や警察の捜索活動は評価しながらも、福島での活動については冷めた目で見つめる。

「こんなことが、もう4回も起きている。自衛隊や警察は、危険を察知するといち早く避難する。その情報を、地元の消防団員やここに残る住民に伝えない。住民は自衛隊や警察だけでなく、政治も信用していない」

 そして、消防団員らに気を配る。団員は何も知らされることなく、腐敗が進んだ遺体の捜索を今も続ける。

「ここでは立場が強い者が身を守り、弱い者が死の恐怖を味わわされる。亡くなった人、それを助けに行くこともできない家族、若い警官、消防団員、そして動物」

 道を歩くと、犬や牛などの死骸がいくつもある。動物がこの冬を乗り越えることは、難しいかもしれないという。死体の中には、生まれたばかりの奇形の牛もあった。村田さんは言う。

「絶対におかしなことが起きている……」

“生き証人”の証言から学ぶ
防災の心得 

 村田さんの証言から私が感じ取った、今後の防災を問い直す上で検証すべき点は、主に以下の3つである。

1.初期出動を一段と早める体制を急いでつくる

 3月11日は阪神淡路大震災のときに比べると、警察、自衛隊、消防などによる人命救助や捜索の初期出動は、おおむね早くなったと言われる。

 村田さんはそれを認めつつも、「警察などは捜索活動の初期出動を一段と早くするべき」と説く。その一方で、「組織であるがゆえに、これ以上は難しいかもしれない」とも指摘する。私は、この考えを起点に防災を考えるべきと思う。

 むしろ、行政が村田さんたちのようなボランティアを支援、育成し、警察や消防、自衛隊、自治体、さらに地域の住民との間でネットワークを作れるように誘導することが必要だと思う。それが、初期出動を早めることに役立つ。

 このようなネットワークは、自然発生的には生まれ得ない。行政が仕掛けることが大切だ。行政は、ボランティアのフットワークの良さを奪うことなく支援し、初期出動を一段と早くする体制を作ることを急ぐべきだ。

 行政を動かすのは、世論である。世論を作るのでは私たちであり、その結果いかんで初期出動の今後のあり方も変わってくる。

2.「命がけのボランティア」に対する認識や評価を高める

 今回の震災では、多くのボランティアが被災地を訪れた。私も参加したが、一般のボランティアと村田さんのような命がけの行動をとる人たちは、その志や考え方、行動などが相当違う。これらの違いを踏まえることなく、「ボランティア」として同じように扱うことには無理があると思う。

 新聞やテレビ、有識者などは、その違いを認識できていないケースがある。そもそも、村田さんのような存在に関心をあまり払わない。前回の記事で紹介した消防団員も、特別職の公務員とはいえ、年間の報酬は数万円であり、ボランティアのようなものだ。

 これまた、新聞やテレビに出ている有識者は、自治体本部の消防職員と区別ができていないことがある。

 私は知事、市長、町長らが、村田さんや消防団員らの「命がけのボランティア」を様々な場で称えることが急務と考える。この人たちを認める世論を行政がリードする気概が、あってしかるべきだろう。

 そうでないと、防災力はもちろん、地域社会も衰弱していく。危険を省みず活動をする村田さんや消防団員こそ、地域社会の将来を占う貴重な存在である。地域社会を強くすれば、当然、防災力も強くなっていく。

3.原発付近の遺体の様子など、一層の情報開示を

 村田さんが指摘するとおり、爆発した福島の原発付近では、震災直後、遺体が放置されたままになっていた。3月31日には、次のような記事が共同通信社から報道機関に配信された。

「原発の20キロ圏に数百~千の遺体か、死亡後に被ばくの疑い」

《福島第1原発事故で、政府が避難指示を出している原発から約20キロの圏内に、東日本大震災で亡くなった人の遺体が数百~千体あると推定されることが31日、警察当局への取材で分かった。(中略)

 警察当局によると、高線量の放射線を浴びた遺体を収容する際、作業する部隊の隊員が二次被ばくする可能性がある。収容先となる遺体安置所などでも検視する警察官や医師、訪問する遺族らに被ばくの恐れが生じる。

 遺体は最終的に遺族か各市町村に引き渡すことになるが、火葬すると放射性物質を含んだ煙が拡散する恐れがあり、土葬の場合も土中や周辺に広がる状況が懸念される。

 警察当局は現場での除染や検視も検討しているが、関係者は「時間が経過して遺体が傷んでいるケースは、洗うことでさらに損傷が激しくなり問題だ」と指摘している。

 身元確認のため、遺体から爪だけを採取してDNA鑑定する方法もあるが、爪も除染する必要があり、かなりの手間と時間がかかるという。》

 福島県警は、震災当日から1ヵ月ほど経った4月中旬に、原発から10キロ圏内で捜索を始めた。連載第3回で紹介したように、この捜索で見つかった遺体もある。

 しかし、半年経った今もその全てが回収されたわけではない。村田さんは「たとえ見つかっても、汚染されているため遺族に返すことができないものもある」と見ている。

 今後、遺体回収の方法、さらに遺族への返還の方法を積極的に議論していくことも、重要なことではないだろうか。

 最後に、村田さんは現在、福島県の相馬野馬追(そうまのまおい)祭りをボランティアとして支援している。この祭りは毎年7月に行なわれるもので、多くの馬が参加することで知られる。国の重要無形民俗文化財にも指定されている。今回の震災で飼い主を失った馬もいるため、その飼育を現地で続けている。

 こういう無償の行為を称えることなく、被災地の復興はあり得ない。人にしろ、動物にしろ、その命を惜しみ大切にしようとするところから、私たちは再スタートするべきではないのだろうか。

 もしかすると、この国では多くの人が「命は大切」と言いながら、それを守ろうとする人たちを、実は軽く扱ってきたのではないかと思えてならない。

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ロシアと北朝鮮

私の思いすごしかもしれないが、最近ロシアが北朝鮮に近づいているような気がする。

そう思ったきっかけはロシアが北朝鮮との間の鉄道を修復する、という記事を詠んだことだが。

ロシアと中国の間は単純ではない。冷たい期間と暖かい期間が交互に来る。今はどちらかと言えば暖かい方に見える。しかしロシアとしては今のうちに冷たい期間への備えをしておく必要がある。

ロシアが北朝鮮を味方に、或いは子分にできれば、使い道は多い。

1.中国に対しては脅しとして使える。北朝鮮と組んで中国を攻めるぞと暗に脅かすわけだ。

2.同じように日本に対しても脅しになるだろう。

3.北朝鮮は藁にもすがる思いで、ロシアと手を組むかもしれない。

4.行く行くは北朝鮮をロシア領にできれば、積年の想いをロシアは叶えることができる。

5.ただし、難民が洪水のようにシベリアに雪崩こんでくる恐れがある。

しかしこれも、現に大量に入り込んでいる中国人移住者への牽制にできる。

どうだろうか?

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迫りくる破局の足音 君には聞こえているか

アメリカの一般向け週刊誌TIMEが2週続けて中国の経済的な苦境を伝えた。

最初は10月10日、「米国製に戻る 何故ジャーデンのような会社が工場を中国から米国にもどしているか}

ジャーデン(Jarden)社はコングロマッリトで、モップ等さまざまな日用品を作っている。それが中国の工場を米国に戻しているというのだ。理由は中国の人件費高騰と輸送費の高騰。いまや、米国内で製造したほうが安いのだという。

次に10月17日付の「中国バブルが弾けるとどうなる?」

これは、内モンゴルのカンバシのゴーストタウンぶりを伝えるもの。上海などの中央都市でないところに微妙な配慮が見られる?

同じように、中国で工場経営者の夜逃げ、自殺が相次いでいると日経BPが伝えている。(北村 豊  2011年10月14日)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20111011/223134/?P=2

一部を抜粋すると、
ーーー
従業員全員参加による“雁蕩山”への1泊2日の慰安旅行が中秋節連休中に行われたが、連休明けの9月13日の朝に出社した奥米流体の従業員たちは、目の前に広がる光景に驚き呆れるとともに怒りに打ち震えたのだった。何と奥米流体は会社そのものが「もぬけの殻」となっていたのである。会社の正門に「当社は経営不振により生産停止のうえ、再建を図ることになった。会社は人員を手配して給与精算を行っているので、従業員各位におかれては心配する必要はありません」との1枚の通知が張り出されていただけで、会長、社長を含む役員の姿はどこにも無いし、連絡も取れない。そればかりか、総額で1000万元(約1億2500万円)以上の価値がある四十数台の精密加工設備がすべて跡かたもなく消え失せていたのである。これはどうみても全員参加の慰安旅行を実施している間に行われた計画的な会社そのものの蒸発であった。

中略

9月になってその数は一挙に増大した。特に中秋節の連休中には上述の奥米流体だけでなく、“新耐宝靴業”、“唐風製靴”、“星際靴業”、“欧覇標準件”、“宝康不銹鋼(“不銹鋼”=ステンレス)”などの経営者が時を同じくして逃亡したのであった。
ーーー

どうやら地震が始まっているようだ。

ところが日本の大手自動車会社はこれから工場を中国に移転するという。私には理解できない。1周遅れではないの?

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共稼ぎと財政赤字

興味深い記事を読んだ。

女性労働力率が低い国から並べると、
イタリア    51%
韓国      54%
ハンガリー  55%
ギリシャ    56%
アイルランド  63%
日本      63%
米国       69%
ドイツ      69%
スイス      79%
デンマーク   79%

となるそうだ。日本より低い国の大部分が財政危機にある。

また、専業主婦が多い国は財政赤字も大きい。一方女性労働力率が高い国は北欧、ドイツ、オランダ、フランスで、国家財政が比較的健全であるとともに少子化も食い止められている、と言う。

山田昌弘 中央大学文学部教授

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琵琶についての勝手な連想

琵琶の元祖は琴ではないかと思う。

西域の騎馬民族が琴を馬上で演奏できるように改良した。それが琵琶なのでは?
だから携帯に便利なようにちょっと無理して薄型にしたために共鳴箱が小さくなった?

夜光の美酒 葡萄の杯
飲まんと欲すれば 琵琶馬上に催す
酔うて沙上に臥すとも 君嗤うことなかれ
古来征戦幾人か帰る
(唐詩・王 翰)

がその論拠。

時にアポロンの竪琴はその後どうなったのだろうか?


パンの吹いていた笛は発展して雅楽にも残っていたと思う。 笙?

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筑前琵琶

一昨晩は13夜。お月見を兼ねて、旧黒田侯爵別邸で筑前琵琶を聞く会があり、久し振りに琵琶を聴きに行った。

琵琶の名前はご存知の方が多かろうが、詳しいことは私も昨日までは知らなかった。そもそも琵琶を聴いたのは、20年以上前に上原まりさんの演奏を聴いただけ。

一番有名な琵琶は正倉院御物だろう。

これは5弦だが4弦のものもある。
また、これは首の部分がまっすぐだが、筑前琵琶では首が曲がっているのが普通。

琵琶は平たいので、共鳴箱がないのか?と思っていたが実はちゃんとある。共鳴箱から音が出るように穴も空いている。(胴に三日月が二つ向かい合っているが、その白い三日月の真ん中に黒い線が見えるのが共鳴箱の穴)

驚いたのはそのフィレットの高さ。ギターでは2ミリもないと思うが琵琶では3センチくらいある。しかもフィレットの間隔が空いているので、フィレットの中間で弦を押すことによって音程を微妙に変えることができる。これは琴の技法だと思う。

昨日使われていたのは5弦で首が曲がった琵琶だった。なお筑前琵琶は胴の前面に桐を使っているので音が柔らかいのだそうだ。

不思議なのは琵琶は能よりも前からあったはずだが何故三味線を使って琵琶を使わなかったのだろうか?

演奏者は田代旭美師、曲目は黒田武士と舟弁慶。

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夜空の声

この一週間、夜空から鳴き声が聞こえてくる。

以前、目の良かった頃は、こういう時に空を見上げると、夜空を渡る一群の大型の鳥を見たことがある。

これもそうだろうか?空を探しても、今の私には何も見えない。

調べてみるとどうもアマサギのようだ。

南西の方角に声は消えていく。南の国に帰るのだろう。

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彼岸花

彼岸花が散り始めた。

盛りの時は地上が血で染めたように赤くなる。

この花は地獄から生えてくるのではないか?

葉も根も実は地獄にあるので地上では見えないのだろう。

しかし、この花が一面に咲き乱れているのだとすると、地獄も案外悪くないかもしれない。

一度住んでみたいような気もする。

「いちめんのひがんばな」

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流れる

何故か木犀の香りを嗅ぐと「香りが風に乗って流れている」と感じる。今年も木犀の香る季節になった。

「流れている」と感じるのは、香りが間欠的に感じられるからだろうか?

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