« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

(暴論)この世に災厄をもたらす者

私は現在のイスラエルのパレスチナに対する政策を容認することは出来ない。パレスチナ人を人間としてではなく「物」として、単に自分たちにとって邪魔な「ゴミ」として扱っているとしか思えないからだ。

このような人間の扱い方は、何処かで見たことがある。そう、ヒットラーのユダヤ人迫害である。

私はこれまで、「ユダヤ人」と言うのは理由なく迫害されてきた可哀そうな人たちだと思ってきた。しかし、イスラエルのやり口を見ていると、この考えは間違っていたのかも知れない。

彼らは自分達を選民、神に選ばれた者として、他の人間達より、特にパレスチナ人よりも、一段高い所にあるのだと思い上がっているかのように見える。

そこで、私はイスラエルはヒットラーの最も良い弟子ではないかと思い始めた。彼らはヒットラーのやり口をそっくり真似しているように見えるからだ。

一方、最近の金融危機がウオール街の金融業者の醜い姿を白日の下に晒した。彼らの多くはアングロサクソンかもしれない。しかし、そのリーダーには多くのユダヤ人がいる。

あまり言われないことだが、私は今度の金融危機はウオール街のリーダーであるユダヤ人達の近視眼的な強欲が生み出したものではないかと疑っている。そしてそのやり口にイスラエルのやり口と共通するものを感じている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

強欲資本主義 ウォール街の自爆 (文春新書 663)

神谷 秀樹著、文藝春秋刊

この本を読んでいるとウォール街のファンド・マネージャとは「今日の儲けは僕のもの、明日の損は君(国)のもの」という哲学の下に動いている人非人たちであることが、数々の実例によって理解できる。

彼らには短期的な利益しか眼中になく、長期的な会社の成長は全く視野に入っていない。まして「社会全体の幸福」などはお笑い種に過ぎないのだろう。

そのような連中が喝采を浴び、高額な報酬をたっぷりと懐に入れた結果が今回の金融危機だった。

彼らの中には、あまりの悪評に、今期の賞与を断念する向きもあるようだが、過去の報酬を返したと言う話は聞かない。

彼らには社会制裁として不正すれすれの行為で蓄えてきた膨大な私財を全て吐き出させるべきだと思うのだが、それは多分出来ないだろう。金持ちは多くの友人に囲まれ、守られているからだ。

今回の金融危機で唯一良かったことは、彼らの化けの皮が剥がれたことだろう。これを機会に世界がまともな道に戻ってくれることを願う。それが著者のこの本を書いた動機の一つに違いない。

そして、その道は、我々日本人には馴染み深い道だ。そのために現在日本は、世界の先頭に立つチャンスに恵まれたのかも知れない。

そのチャンスを生かせるかどうかは、我々に掛かっているのかも?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

パリコレ飛び込み

凄い人がいるものだ。あげ羽さん。怪しげな所もあるが、圧巻はパリコレ。ふらりと見物に行って、そのままショウの舞台に立ってしまう。詳しくは先ほどの「パリコレのときのアルバム」をご参照いただくとして、お時間のない方のために簡単に抜粋・紹介すると、

先ず素顔(自称)のご本人
Imgp1501      209

それがこんな格好で始めての(多分)パリを闊歩する。着物は古着を自分で染めた。デザインもご自分だろう。並みの才能ではない。

Imgp1511

Imgp1512

Imgp1509

こりゃ目立つは。

そして」その格好で裾をからげて地下鉄に乗る。

Imgp1504

そして迷い迷い、パリコレの会場に着く。そこでデザイナー夫婦に声を掛けられる。「その衣装でステージに出ないか?」

Machaonageha

彼女、迷うが出演を決意する。当然だが、勇気が要ったことだろう。

で、パリコレ会場。
049  048

彼女登場。

054

056

057

終って、これがパリコレの楽屋。滅多に見られない。
Imgp1545  

074  

 

 

063  062

ほっとして会場を後に、パリの街を散策。

103

なお、彼女は芸者もしている。大森まつ乃屋所属。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

できそこないの男たち

福岡伸一  光文社新書

聖書ではアダムのあばら骨からイヴが作られるが、実際には女性が先で男性が女性から作られた。

本来はどちらが先に作られたかと言うだけのことで、後から作られたから「できそこない」とは限らない。先に出来たと思っていたら実は後から出来ていた悔しさからくる僻み根性がこの題名に現れているように感じる。

しかし、発生の途中で全ての胎児の足の付け根に割れ目ができ、それが男性遺伝子(Y遺伝子)を持っているものだけ閉じ合わされると言うのは驚いた。(そうか私も昔は女だったのか)

しかし、有性生殖が始まる前は、生物は全て単為生殖だったのだから、これをメスであったと言うのは、誤りとは言えないが、厳密にはこれは中性で あって、有性生殖が始まったときに初めてメスとオスが生まれたのだと言うべきではないか。著者の言い方はまたもや一方的な感情(悔しさ)が入っているの だ。

さらに、最初に有性生殖を行ったのは単細胞生物の筈だ。「接合」と呼ばれる。この場合はメスもオスも同じ形をしており性差はない。ただ単細胞同士で遺伝子の交換をしているらしい。

植物にもメスとオスがある種類がある。銀杏などがそうだ。実のなる木とならない木がある。このような場合にはY染色体はどうなっているのだろう。

また、魚や鳥には途中で性が変わるものがあると聞いた。種名は失念した。

ウミガメは孵化する時の温度によって性が決まる。この場合もY染色体がどうなっているのか気になる。

本書で取り上げられているチャイロコメノゴミムシダマシという小さな甲虫はX染色体とY染色体を持ち、人類と同じようにこれらがメスかオスかを決める。しかもY染色体はX染色体よりも遥かに小さい。

これは私にはショックだった。「そんなに昔からY染色体は小さかったのか?」

進化の点では、甲虫は人類の遥かな先祖だろう。すると、Y染色体はオスができた時点から小さかったのか?そうだとすると、オスが絶滅するのは遥かに先であろう。何も心配する必要はなかった!

しかしそうすると、銀杏やウミガメのY染色体も小さいのか?成長の過程で性転換する動物の染色体はどうなっているのか?疑問は次々に湧いてくるが、この本にその回答はない。

単為生殖と有性生殖を繰り返すアリマキの性染色体については触れている。大変興味深い。

ジンギスカンの子孫が1600万人いる、と言う話には笑ってしまう。男系相続の怪しさが白日の下に晒される。著者は明確に指摘していないが言いたいことは明白だ。

最後の「快感説」には疑問を持つ。

我々が女性を愛し、尊敬し、一緒に住みたいと思う理由がもし「快感」だけならば、女性を選択する必要はなくなる。誰でもその時には略同じ快感を与 えてくれるだろう。しかし、我々はそれだけでは満足できないのだ。だから、延々と理想の女性を探し求めるのではないか?男が「命を捧げるべき女を探す」の は「快感」だけでは説明できない。それはもっと根源的なものに突き動かされているからだと思う。

生物の宿命は子どもを育てることだろう。その時にライオンのようにオスが知らん振りをしてメスだけで子どもを育てるよりも、オスも子育てを手伝った方が子どもの生存率が高くなることは明らかだ。するとオスがメスの子育てを手伝うのは進化の法則に適っていることになる。

しかもその時、オスとメスが異なった特長を持ち、異なった強さを持っていた方が、環境に対する変化への適応範囲が広くなるだろう。つまりそのような種が生き残るだろう。

男は決して出来損ないではない、男は男の特長を持って女と子どもを守ればよいのだと私は思う。

触れなかったが、本書で触れている、Y染色体の旅路も興味深い。日本人のルーツが分かる。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

六ヶ所村通信上映会

地元の人に誘われて行ってきた。

六ヶ所村はご存知の原子力発電所核廃棄物を処理する。

日本全国の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、

その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出す再処理工場である。

この施設について以前、六ヶ所村ラプソディーと言う映画が作られた。その続編である。

私の感想

1.役所側は「安全」を強調するが、元から自然に存在していた放射能がいまのところ目立った害を及ぼしていないからと言って、これを人為的に増やして、100年、1000年後にどのような影響が人体に現れるかは誰も分からない。これを「安全」というのは子供だましの詭弁に過ぎない。放射能を人為的に増やさないことが最も安全なのだ。

2.しかし映画の作り方には多くの疑問を感じる。
まず、ロックミュージシャンを使いすぎる。私はロックは好きでもないが嫌いでもない。でも彼らの外観は普通に生活している人たちとかなり異なっていると感じる。そこには一種の不協和音がある。製作者はロックによって見る人の感情を揺さぶり、理屈でなく感情的に賛同を得ようとしているように感じる。これはあまり感心できる説得方法とは言えない。

同じく青森県に乗り込む抗議団体のリーダーの服装・髪型にも違和感がある。かれは上述のロックミュージシャン的な長髪を背中に垂らしているのだが、これでは、反対運動は特殊なグループの運動であり、一般市民は排除されていると言う印象を与えてしまう。それでは逆効果であるということに何故気が付かないのだろうか?

3.米の無肥料栽培、不耕起栽培を大きく取り上げているのも奇妙だ。

たまたま関係者が近くに住んでいたと言う以上の因果関係はないのではないか?化学肥料や農薬を使わない農法は最近いろいろ提案されている。コンポスト、アイガモその他。その中から一つだけを取り出す必然性が感じられない。

4.再処理施設関連の事業に雇用されている人たちが施設の存続を望むのは当然だろう。雇用を先に生み出したものが勝ちなのだ。施設建設に反対するなら、できる前に、何か雇用を生み出す事業を立ち上げておくべきだった。

5.このような映画の制作資金を誰が出すだろうか?

プルトニュームが核爆弾の原料になることは誰でも知っている。

そうだとすれば核ミサイルを何百発も日本に照準を合わせていると言われる中国、その手下の韓国、そして北朝鮮はこの反対運動に大賛成だろう。資金を直接出しているかどうかまでは知らないが、精神的・物質的な支援を行っていても不思議はない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »