モンゴル旅行記
1.モンゴル国と中華人民共和国内蒙古自治区
モンゴルは清(1644 年―1912年)に征服されたがその統治は間接統治であった。1911年の辛亥革命とともに清から独立した。内蒙古はこれとは別の政府を作っていた。 1947年中国共産党は内蒙古自治区人民政府を作り、中国領であるとした。その後中国政府は内蒙古自治区への漢民族の移住を奨励した結果、現在この地区の 漢民族は約80%となり、モンゴル族は20%を切る少数民族となっている。義務教育では中国語が教育され、モンゴル語はモンゴル族の家庭で用いられている だけだが、中国語教育の普及により、家庭内での意思疎通が上手くできなくなっているとの話もある。
一方モンゴル国は中国から遠ざかってソ連に近づいた。そして文字としてモンゴル文字を捨ててロシア文字(キリル文字)を採用した。 2.モンゴル旅行私は、2001.06.06~06.20の2週間、モンゴル国を訪ねた。その時のことを書いてみる。
街中にはまだレーニン像が健在であった。後ろの建物はウランバートル・ホテル。トランバイ(トロリーバス)が走っている。旧共産圏では普通。
モンゴルでは記念碑をカメが背負っていることが多い。
レスリングが盛んなのはご承知のとおり。
歩いていたら母子像があった。日本なら鬼子母神と言った所。どうやら保育園だったようだ。
ラマ教(チベット仏教)の寺院
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狛犬がある。
お堂もある。中にも入ったが撮影は遠慮。
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中国語、モンゴル語の2ヶ国語表記。さすがにロシア文字(キリル文字)表記はない。
ウランバートルから東へ。飛行機でチョイバルサンまで飛んだ。これがチョイバルサン空港。
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その内、男子と女子で踊りだした。なんとなくソ連時代を偲ばせる。
町を出ればそこは砂漠である。我々のテントは用意されてなくて野宿。
夕暮れ。
今度の冬は大雪で家畜に大きな被害がでた。凍死した羊の屍骸。
これは馬か?
ボイル湖。
夕食の後の宴会。モンゴルの歌は豪快である。
朝食の時に突然少年が来訪。
大地に横たわる仏様。
日本人の建てたノモンハンの慰霊碑。地元の人はちゃんと手入れをしてくれているようだ。
同行者達。
草原のパーキングエリア。食堂をやっているゲル(パオは中国語)が並んでいる。我々もここで昼食。
子供達が遊んでいた。
小川があった。
ウランバートルのホテルに戻ってきた。フロントの女性達のおすまし顔。
ゴビ砂漠に向かって南下。
丘のふもとのゲル。
運転手の子供達も乗っている。
運転手のゲル(ダランザドガド)に到着。今夜はここに泊まる。
女性達がボーズ(肉団子)を作ってくれている。手伝いは許されない。
楽しい食事。
羊の毛を刈っているのは交番のお巡りさん(あるいは警察署長)。彼に国立公園入場許可を貰う。
羊に水をやる。
これが交番(警察署?)パラボラアンテナで本署に連絡する。
向こうでは雨が降っている。
突然現れた砂丘。
登ってみる。
砂丘の下には水が流れている。
水があればカエルもいる。
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今日はここで泊まる(テントが借りられたので野宿ではない)。
ラクダが通る。
ヤク?
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運転手の住む町に戻ってきた。
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突然雹が降りだした。
帰り道に迷わぬようオボを積む。ウランバートルはもう近い。
現在モンゴルは地下資源の宝庫として注目されています。この頃よりはかなり賑わっていることでしょう。それが草原の民にとって喜ばしいことかどうか?難しい選択に迫られています。












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